Brushy One StringのChicken in The Cornが気になる、「ひでっとる」です。よろしくお願いします。
僕にとって2003年は息苦しさを感じた年でした。
写真の作品を作ることで、バランスを撮れていたのかもしれない、とも思うのです。
今回の紹介する作品は、その真っただ中、最も身近なモチーフを見つけた写真です。
何があったって?転職失敗。からの自由な時間
さらっと触れると、当時の勤務形態が、夜勤昼勤が不定期に入り乱れて、24時間のコール対応のおまけつきで生活リズムが破綻。一緒に生活していた妻も限界を感じて転職しました。その転職先が試用期間にブラック企業確定で早々に退職し、心身がやられた時期でした。
完全に仕事の無い休日というのが取れない日々から、急に自由な時間が出来たので、次の仕事を探しながら、写真が撮れる時間的な余裕が出来ました。
急に自分探しの旅行をする年齢はとうに過ぎ、伴侶もいたので、身近で撮れるものを探して撮っていました。
身近過ぎるモチーフに現れる時空の歪み
そして、最も身近なもので気になるものがありました。住んでいるアパートです。
これといった特徴のないアパートでしたが、住んでいた部屋がちょっとイカれていました。
エレベーターが無い4階でした。
若気の至りと言いますか、場所が気に入ったのですが空室が4階だったにもかかわらず、住むことに決めました。他の4階の部屋は常に空室が多かったと記憶しています。結局10年間、この405号室に住み続けたのです。
僕が抱いたアパートに対する最も印象的な特徴が、毎日毎日上り下りを繰り返した長い階段でした。それを表現するのに、どうしようと考えた時に、当時リスペクトの対象だった二人のアーティストをオマージュしようと考えたのです。
M.C.エッシャー
丁度その頃、妻がハウステンボスのエッシャーの展示を見てきて、話を聞くうちに作品世界に引き込まれたのです。
メタモルフォーゼ(Ⅱ)に代表される、現実世界を少し別の場所から眺めたような視点で、モノや空間の変容を美しい版画で表現します。ネガ・ポジの関係で現れるモノのカタチの変容や、飾られた絵画の中に描かれている自分自身が、その絵画を鑑賞している、空間の変容に可能性を感じていました。
デイビット・ホックニー
言わずと知れた、現代芸術の代表的なアーティストですが、意外に知られていない写真を使った作品があります。フォトコラージュです。僕らの世代は、マルチプルイメージとよく呼んでいたと思います。
彼は画家でありながら、卓越したセンスで、写真表現の幅をグィッと拡げました。マルチプルイメージは、ありふれた個々の写真の集合体を、ある目的、法則性を与えて並べることで、一枚の作品とする表現手法です。
様々なマルチプルイメージの手法があります。大別すると2つあると考えていて、
一つは、ホックニーの身体的な動き、視線の動きにあわせて写真を並べる。代表的には、京都の龍安寺石庭の作品がわかりやすいです。彼の視点の動きに合わせて撮られた石庭の部分的な写真を再構成して並べただけに止まらず、彼の庭を移動した時の自分の足を撮ってそれも庭の外周に並べてあります。互い違いの靴下が交互に並べられていて、センス抜群です。
もう一つは、主にポラロイド写真をグリッド状に並べた作品。多分ポラロイド写真の場合、厚みがあるので、ランダムに重ねて作品とするのが現実的ではないからだと思うのですが、幾何学的に整然と並ぶ、周辺光量がドスンと落ちたポラロイドイメージを全体的に眺めると、トンボの複眼だったり、部分が全体を内包する、ホログラムのネガを類似的に想起させて、鼻の奥の方がムズムズします。
ノコギリノコドウでは、この表現手法のオマージュ作品をひそかに、追加していました。
龍安寺のスタイルも彼の真骨頂ですごく魅力的なのですが、天才のセンスがあればこそ成立する手法だと思ってます。むしろ、部分的に制約を持つ、グリッド状に写真を配して、人物をモチーフとした作品に個人的には魅力を感じます。
心の壁は時空が歪む
階段は、4階まで一気に上がると、まるで螺旋状の階段をクルクル回っている感じになります。その感じを作品に落とし込むには、階段をDNAの螺旋構造みたいに見せたい。そうしたら、ホックニーの様に、たくさん撮った写真を並べて螺旋状に曲げる様にしたら良いんじゃない?と考えたのです。
エッシャーの空間の変容を螺旋状になる様に意識して、各階段の踊り場からの眺めを縦につなげる見せ方を思いつきました。でも、龍安寺の様に、センス良く自由に並べるのではなく、少しだけ制約、ルールがあった方がカッコ良くなる様な気がしたのです。
ここでのルールは、張り合わせてできた画像の空間は歪んでいるけど、撮影した個々の写真は、画像全体に対して真っ直ぐになる様に撮影しました。つまり、あらかじめ変容した空間を逆算した角度で撮影したのです。
このパーツを一つにまとめます。
この頃のコンパクトデジカメの画像は周辺光量が落ち気味で、個々の写真の仕上げには、若干その特徴を強調して仕上げています。なぜなら、ホックニーの写真は多くが同様に周辺の光量が暗い写真です。それを並べることで全体としての作品に特徴的なトーンを見せていると思っています。
この点も、確信犯的にリスペクトしたオマージュです。
この作品の撮影当時の僕の置かれた状況は、前述のとおり心身共に厳しいものでした。特に妻以外で会話をする人がドンドン減っていきました。今思い返すと、時空を変容させた階段のイメージは、僕のATフィールドの時空の歪みだったのです。ATフィールドとは、エヴァンゲリオンで登場する、敵が攻撃を防ぐために発動するバリヤーのようなもので、それが転じて自らもATフィールドを駆使することで、これが心の壁であると知るのです。
他者との心の壁。それは自分の部屋を出て現実社会の地上に降り立つまでの階段。時空を変容させた階段のイメージは当時の僕の心の壁だったかもしれません。
ATフィールドを中和化できたのが数年後、社会復帰したのですが、まだまだ試練が続きます。それはまた別の機会があれば。
今日も一日安全作業で頑張ろう!ご安全に。