写真展【アヴァンガルド勃興】のオマージュ作品を作りました。

90年以上前のマン・レイのプリントが美しくて、改めて凄みを知ったひでっとるです。よろしくお願いします。

珍しく東京都写真美術館で行われている展覧会「アヴァンガルド勃興」を見ました。会期は2022年5月20日から8月21日まで。前衛写真って聞きなれない分野を俯瞰できる展示で、知らないことがまだまだたくさんあることが分かります。

目次

僕の中で前衛(アヴァンガルド)とは

タイトルの前衛といえば、最初に思い浮かぶのは岡本太郎です。作品としては、3歳の時、大阪万博で見ていますが、記憶には残念ながら残っていません。存在を意識するのは、書籍に触れてからです。

笑っていいとも!に出演していた頃は知っているけど、深く意識していませんでした。僕が写真学校に入ったのが1994年。岡本太郎が1996年に他界され、書籍が大量に出版され、それに触れて初めて氏の創作活動全般を知りました。

”今日の芸術”は、現在創作活動を続ける僕らでも間違いなく得ることが多い本です。今まで何冊も購入して、いろんな人に配ってました。

海外の作家にかぶれていた自分に、自国に目を向ける意味を教えてくれた人です。

アヴァンギャルド、前衛とは、

芸術は創造です。だから新しいということは、芸術における至上命令であり、絶対条件です。

岡本太郎「今日の芸術」

なんとも真っ当な、激しい宣言でしょう。常に新しいものを生み出す創作行為こそがアヴァンギャルドです。岡本太郎に至ると、芸術そのものがアヴァンギャルドなのです。忘れてはいけない、まさに絶対条件です。すべての思考、行動がここに向かうべきです。

岡本太郎がピカソを乗り越えることに、もがき続けたように、僕らは岡本太郎を乗り越えるためにもがくのです。

近代日本で起きた前衛写真を現在の僕らが俯瞰した場合、当時の”新しいものを生み出す創作”が、どう僕らに響くのかを体験した上で、現在の僕らにとっての新しいものを、未来の人々がどうとらえるのかを意識するのも、面白いと思いました。

日進月歩がどんどん加速する時代に、遠い未来の想像なんてできないけど、今の立ち位置を俯瞰しておきたい気持ちが芽生えます。

前衛の態度そのものは、色褪せず続いていく、芸術の本質と思うのです。

瀧口修造について思う事

今回の展覧会にある、前衛写真について重要な役割を果たしている人物、瀧口修造について触れたいのですが、実はよく知りません。

写真を学ぶにつれて、何故かこの人の名前によく出くわします。僕の気になる芸術家、美術家、作家は、必ずと言って良いほど、彼との関係性を指摘できます。

畠山直哉⇔大辻清司⇔瀧口修造

荒川修作⇔瀧口修造⇔マルセルデュシャン

岡本太郎⇔瀧口修造

安部公房⇔瀧口修造

瀧口修造の肩書は美術評論家、詩人、画家とあるが、どのような人物なのだろう。勉強不足で、断片的な情報しか知りません。彼が何者なのかを激しく知りたいと思いました。

荒川修作とデュシャンの関係を築いた件は、本当にしびれます。でも、彼の作品や著作についてはまとまった資料に触れることなく今まで過ごしてきました。断片的な彼の情報を拾い集めると、多くの人物を橋渡しした、コーディネーターではないかと思うのです。

彼は芸術には、人と人との関係性が重要だと教えてくれていると勝手に解釈しています。孤軍奮闘する自分のスタイルを戒めてそう思います。

アヴァンガルド勃興、展覧会の概要

実際の展示についての概要です。

1930年代から1940年代までの短い期間に日本で起こった、アマチュアが中心となった写真集団の活動を紹介しています。それは、アヴァンガルド、前衛写真と呼ばれる一連の潮流です。

関西を中心に、名古屋、福岡などの地方都市で生まれた作品の展示がメインで、その写真集団の勃興するきっかけとなった海外の作家の作品が展示されています。

日本でのムーブメントは、いつの時代も海外からの刺激がきっかけとなるようです。今も昔も変わりません。

展示順は、海外の作家の作品から、関西のグループ、名古屋のグループ、福岡のグループと続きます。

オマージュの連鎖

前衛写真と分類される写真についての一般的な印象は、非現実的な画像を主観的に作り出す世界観だと思います。僕も少なからずテクニカルで特殊な分野と理解していました。

実際の彼らの意図は、新しい表現の模索であり、対象へのアプローチは、現実の中に存在しながら、見つけないと潜んだままの、非現実的なるものを探索であることから、その部分に関してはものすごく共感する、興味のある制作態度でした。

ただし、ここは時代の違いなのかもしれませんが、被写体をモノとして捉え、コトまでは至らない感じがあります。結果として、クローズアップでモノそのものを接写している作品が多かったり、コンポジション(画面構成)に工夫がみられる作品が多い印象です。

撮影者の制作意図が強く、作り込んで行く作品群ですが、中には、日常の中に潜む非現実感を見つけている方がいます。

山本悍右の【脱衣棚と椅子】

作者の通っているであろう銭湯の脱衣場所での棚と椅子そしてタンクトップの組合せ。日常の一コマに目を向け撮影され、作品となる段階で、現実を超えてしまう何かが起こるようです。

タンクトップの配置など、作為を感じなくはないけれど、全体的な印象は、現実を掴もうとする意図が根底にあります。脱衣棚と椅子、タンクトップの組合せに特別な扉が存在する?アングル?棚と正対しているのは影響がありそうですね。数字の羅列も意味を帯びそうです。

何かが僕にも作用していることはあるのですが、それが何か掴めません。

僕には個人的な糸口はありました。脱衣棚の形状に惹かれるものがありました。僕の展示額の形に瓜二つなのです。それに気づいた時、この作品にインスパイアされた制作で何かヒントを拾い出そうと考えました。

オマージュ(敬意を持って、作品を引用する)です。トーマス・デマンドの作品の様な素材の変容は部分的にはあります。この場合は椅子です。棚と額は、実際のモノとしての用途が違います。形状の近似のみで、どれだけ作品に迫れるかの実験です。

タンクトップの首元の手前と奥のラインが、ツインアーチを逆さにしたシルエットを暗示していたり、椅子の奥のアウトラインと、その奥の写真の右端の住宅のアウトラインとが平行のラインを形成し、その隙間からツインアーチが顔を出してたりの、細部の仕掛けを施しました。

タンクトップを写真額に飾り、自分の作品を写し込んだ辺りは、額の用途を誇張しています。椅子の位置も、最適な場所を探して配置したのは、奥のツインアーチ作品を見せる為の作業です。額の用途にのっとった作為を前面に出し制作しています。作品の中に作品を二重に配置し、仕掛けを施すことで、現代の過剰な伏線、情報量の過多を揶揄するに十分な、いやったらしさを表現しています。

オマージュである以上、元の作品に対して敬意を表し、なおかつそれを乗り越える気概は必要でした。

お互いのアンテナが同調する糸口を見つけて、オマージュを作品としたのですが、彼の作品を捕まえたという手ごたえはありません。結局は、オマージュの連鎖を通して、新しい表現の糸口が見つかるのだと思うのです。こういった作業がアヴァンガルドなのではないでしょうか。

日本人に刺激を与えた作家の作品

興味深いのは、日本の前衛写真グループのきっかけとなる、海外の作家の作品との対比です。

僕の興味は、どうしてもこちらに引きずられてしまいます。ウジェーヌ・アジェのパリの街、出来事を淡々と撮影した写真は、アヴァンギャルドでありながら、シュルレアリスムそのものを体現しており、写真作品の理想です。

日食を見る市民の集団、ショウウィンドウ越しのマネキン等。どれも作為の無い完全に日常的な姿を見ているはずなのに、鑑賞者である僕らは言いようのない、現実感を超えた不思議な感覚を実感します。それは美しいと思うセンサーだと思うけど、思考で判断して分かる種類の知覚ではない、多分に感覚的に、”この作品はただ事ではない”と肌感覚が理解する感じ。上手く説明できません。オカルト的な説明ですが、アジェの写真は特別なのです。

アジェは、時代を超えてなお、見応え十分でありながら、撮影した時代との時間的ギャップが増すごとに、魅力が増え続けると思います。

もう一人取り上げたいのがマン・レイです。写真を勉強する方なら避けて通れない、重要人物です。彼の作品も展示されていて、日本の前衛写真に影響を及ぼしていたことが分かります。

名前だって「光線人間」ってダサいを一周回ってしまうセンスがすごい。

一つの作品に釘付けになりました。正直、今まで出会えたマン・レイの作品は、「あーっ、これがマン・レイね」って感じで、ちょっと評価されている内容や、実績などを理解して見ても、直結しない、グっとくる感じが薄い印象がありました。つまり、あまり作品が好きではなかったのです。

「長い髪の女」は、いかに美しく髪の毛を撮るかに挑戦したのではないかと想像します。目が覚めるほど美しいプリントです。豊かなトーンで表現された髪の毛、女性の肌の質感。そして、経年変化が背景の黒から被写体の女性、髪の毛に迫り、覆いかぶさりつつある状況を含めて、すべてが作品を支えます。

僕らの世代は、暗室でこしらえるプリントは永遠ではないということをすでに知っています。写真は永遠ではないのです。いかにして劣化を遅らせるかが、技術的な課題でした。現在はデジタル技術を担保に写真は永遠であると思われています。経年変化を良しとする美意識が消滅し、モノが大事にされない文化に完全にシフトした場合の美意識ってどんなだろう。その時、このプリントを見て、美しいと思わなくなるのでしょうか。今よりも加速がついてどんどん進む変化を、乗り越えなければならない覚悟が必要です。

E・J・ベロックも結果的には同じ条件を備えた作品で、同様に美しいプリントです。実際に見てみないと伝わりにくいので、是非機会があればご来場ください。

額装展示が見ごたえあり

久しぶりに東京都写真美術館での展示を見たが、やっぱり額装が丁寧ですね。

シルバーの、正面から見ると薄手のフレームにほぼすべての作品が収められ、うすーいガラスがはめ込まれていて、これ、ガラスが入ってないんじゃない?と最初思うくらい薄いガラスです。

見せてもらおうか、美術館のミュージアムガラスの性能とやらを。

というか、真の実力を見た気がします。全然違い、感動します。作品鑑賞に全然干渉しません。

今日も一日安全作業で頑張ろう!ご安全に。

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