人と話すことがこれほど体力を消耗するとは思ってもいなかった「ひでっとる」です。よろしくお願いします。
時間が経つのは早く、遅くなってしまいましたが、半年前の展示会内容について、記事にします。
「書庫と写真」について
建築とアートに関わる活動をアグレッシブかつスマートにこなす、栗本真壱さんの手掛ける、Retail(リテイル)1階のギャラリー「書庫の〇〇」の企画で、
「書庫と写真」
でお声をかけていただき、セミナー講師をやらせていただきました。
- どうやって撮影するの?講座
- 「1丁目1番地」を撮影してみる課題
- 撮影した写真を展示してみる実践
を内容とするワークショップを開催しました。まず、建築写真についてのセミナーを行い、セミナー参加者が課題に対して建築作品を撮影し、それを展示する企画でした。
セミナーについては、建築を題材とする写真家の作品を軸に、写真で建築をどのように表現しているかを説明しました。
以前でも少しご紹介しましたが、セミナーの内容が建築に関することもあり、会場である書庫の内部に、僕が以前撮影した、地元一宮市の建築写真を展示しつつ、話を進めました。
自身の作品を会場に展開することで、複数の写真がもたらす表現の幅を感じてもらえたと思います。
「1丁目1番地」について
セミナーの内容を踏まえて、お題を「1丁目1番地」として参加者それぞれが撮影をし、作品を持ち寄って作品展をしう!との企画を栗本さんがご提案されました。お題の意味としては、
最近巷で、特に政治の舞台では、1丁目1番地とは、物事の始まりの場所としての意味合いを帯びているので、参加者それぞれの1丁目1番地を探しましょう、と言うのはどうでしょうか?
とのことでした。やはり建築家。僕の頭では間違いなく出てこないフレーズでした。個人的に挑戦したくなったので、もちろん賛成して、この企画で進めました。
それぞれの参加者さんは、自分なりのアンサーを写真で表現してくれました。それぞれの行動範囲が反映した写真が集まりました。展示方法は、特にご要望がなかった為、シャッフルした形で、展示させていただきました。そうすることでより明確に、全体的な「1丁目1番地」を展開できたと思います。
僕の「1丁目1番地」の見つけ方
お題に対して写真を製作する機会は未経験でしたので、集中して全力を傾けました。
まずは、撮影対象を一宮市に決めました。個人的な作品はずっと一宮市で撮影しており、今回のセミナーの会場は、20年近く前に撮影した一宮市内の写真を飾ったので、必然的な流れに従った感じです。
まずは、ロケハンで状況を確認しながらテスト的に撮影しました。
ご覧の様に、よくある街角の画像がどんどん増えそうです。
すべての洗い出し
性分で、一旦全体を俯瞰したいと思いました。一宮市内の住所に1丁目1番地の付く場所を調査します。
一宮市には、62ヵ所の1丁目1番地がありました(後に栗本さんの指摘で他にも1件ありましたが)。赤丸以外は町名に丁と番地はつくのですが、1丁目や1番地の無いところです。
レイラインあるいは配置の法則性を探す
62ヵ所を地図に落とし込んで、位置関係を見てみたいと思いました。
lay line、遺跡が直線に乗って位置している法則や、日本の近畿五芒星や、羽根ラインなどの法則にも似た秘密が、一宮市の住所にもあると楽しいぞ、と勝手に盛り上がって、空想半分、実際の法則性、ルールを探求しながらあれこれ眺めました。
そうすると、オカルト的な側面は全くないながら、2つの大きな特徴のあるエリアがありました。
- 国道155号線に沿った、1丁目1番地が連続して並ぶエリア
- 南北に流れる大江川東岸に1丁目1番地が連続して並ぶエリア
よくよく調べると、このエリアが出来た理由が分かります。町名を決める法則が一宮市によって決められていました。
JR尾張一宮駅を中心に放物線方向に1丁目1番地を決定しているようです。
重ねて、川を挟んだり、大通りを挟んだところを起点に、1丁目1番地が決められていたので、上にあげた特徴のあるエリアが出現したのです。
写真的に致命的な条件
どちらかのエリアを撮影する事にしようと考えたのですが、僕の苦手な、逃れられない撮影条件が、横たわっていました。
撮影の半分以上、特に大江川沿いはすべての撮影対象が北側から撮影する立地です。
一宮の1丁目1番地をあぶりだす、建物としての特異性を表現するには好条件とは言えません。北から建物を撮影しても、直射日光が当たらない北面が美しくない。
演出(ストロボなどの補助光を使う)することなく、ありのままの日常の一部を切り取る写真で、1丁目1番地を抽出すると現れる世界って、特別な何かが現れるのか?を見てみたいと考えていたのです。
その解決方法は、撮影時間を絞り込むことで実現することになります。
同時並行で起こったエピソードにちなんで
撮影時間を絞ることを決めて、さてどちらのエリアを撮影しようと考えた頃、事件と呼ぶほどではない、日常のやり取りに、作品の裏テーマみたいなものが見えてきました。
キーワードは、境界線です。
国道155号線のエリアには、その先にはもう1丁目1番地がなくなる境界線があります。つまり、市内の中心部に近いエリアの町名に1丁目1番地が付けられていて、その外周は付きません。旧市街には付けられて、それ以外はついていないと、ざっくり境界線が存在します。今回はその境界線を見つけることを裏テーマとしました。
作品は裏テーマを意識して製作され、発表する時に、このエピソードを説明するパネルを用意し一緒に展示しました。
画像では読みにくいので、文字起こしを以下に示します。
ある日、スキンヘッドの僕が顔を洗っていると、妻から『頭も一緒にタオルで拭かないで』と苦情を言われた。家族が共有で使うタオルなので、それで頭を拭かれると、頭皮の汚れが付着し、その後で自分の顔は拭きたくないそうだ。
顔を洗う石鹸とシャンプーを使い分けるならあるはずの、境い目となる生え際がない。僕にとっては、ボーダーレスだが、一般的にはきっちりと存在する境界線を意識した。
別の日、同じく妻に、一丁目一番地の撮影をするよと話したら『私の実家(一宮市内)の住所には、町の名前に丁目番地は付かないよ』と言われた。調べると、一宮市内には丁目番地が付く町名と、付かない町名がある。百年前の市制施行当時に市内となったあたりが、今の町名に丁目番地が付くエリアに近いようだ(例外的に駅の南西側はこれより広く分布している)。
JR尾張一宮駅を中心にして、距離が離れていく途中に、どうも境界線がありそうだ。今回は、一丁目一番地の境界線を探すことにした。
市内六十二箇所ある一丁目一番地の中で、それより先には丁目番地が付かない町ばかりになる、文字通り境界線に隣接する一丁目一番地を見つけた。真清田神社前を東西に横切る国道155号線沿いは一丁目一番地が連続して並び、その東端、国道22号線との交差点の角に一丁目一番地があり、その東側の路地は石鹸とシャンプーの境界線だ。
これらの写真作品は、街の中心から、境界線までを辿る道中の一丁目一番地の建築物で、最後の写真だけは、境界線の写真だ。一丁目一番地という篩(ふるい)をかけた建築物だけをピックアップして眺めてみても、日常見かけるごくありふれた建物であり、空間だ。
最近、一丁目一番地と言えば、出発点、起点の意味になるそうだが、実際の状況は何も特別は意味を含んだ集合体には映らなかった。そこで、これらをまだ夜が明けない二十分程の短時間に現れる特別な光の条件で撮影した。
立地条件と、時間の条件の二重に絞り込んで撮影してやっと、日常では感じない街の様子が現れた。そこにたどり着けた経験が、僕にとっての新たな出発点だ。
たまたま目の前を横切った車のライトが境界線を暗示するかのように、奥に写る丁目番地のない土地の風景を遮る。ライトの光は線ではなく残像だ。一丁目一番地のイメージも幻想に過ぎない。この世は幻想で規定される。今日も家に帰り、風呂に入り、体を洗う石鹸で体も顔も頭も全部一緒に洗っている。
文章の書かれたパネルの背景のイラストは、最初の写真(何の建物もない境界線の場所の赤と黄色の車の光のライン)と共鳴して、車の光のラインが、頭の境界線を通っています。
これが、このブログの表紙のイメージなのです。わかりますか?
作品として、僕の1丁目1番地は、日中に建築写真を撮る固定観念を突破でき、色彩豊かな普段見ることのない、でも確実に存在する日常の一部分を見せることが出来たところが良かったと考えております。
同時に、境界線と言うキーワードを見つけられました。今後の活動にもつながる予感がします。
今日も一日安全作業で頑張ろう!ご安全に。