手持ちのフィルムカメラのフィルムホルダーが故障して修理するか迷っている「ひでっとる」です。よろしくお願いします。
一宮市博物館での企画展「国登録文化財葛利毛織工業工場とのこぎり屋根」の残り会期が残り3日となりました。僕の作品も展示させていただいて、連日会場へ入り、来場者様に出来るだけお声をかけて、作品について語ることを続けています。
これは、5年前の個展から継続して続けていることです。
展覧会では全力で立ち会う。
家族の協力がなければ実現できないことですが、日がな一日、話せる相手が少なくても、仕事以外は必ず会場に立つことにしています。その理由を書きます。
悔やまれる展覧会での出来事(その1・東松照明)
名古屋市中区伏見界隈の雑居ビルの薄暗い地下の展示スペースに写真展を観に行きました。確か1996年から1998年頃、東松照明の「インターフェイス」「キャラクターP・終の住処」のどちらかのタイトルだったと思います。
僕は、写真を本格的に始めて間もない頃、東松照明が地元愛知県にゆかりのある人物ということすら知らずに、有名な写真家の展覧会に行く、くらいの軽い気持ちで行きました。
詳しくは知らないながらも、彼の作品に抱いていたイメージ、ドキュメントテイストな作品とは違って、会場に展示された作品は、海岸に打ち上げられた漂流物や、電子回路などを組み合わせて創作された「キャラクターP」の写真が並び、僕は、完全に消化不良を起こしていました。戸惑っていたのかもしれません。
会場の薄暗さも相まって、当時の社会をネガティブかつシニカルに表現した内容に、写真を志して、鼻息を荒くして写真に挑んでいた若者には、受け入れにくい面がありました。
一通り会場を見せていただいて、立ち去ろうとしたその時、誰かが会場に入ってきました。それまで誰もいなかったので、他の来場者だとばかり思っていたのですが、東松照明その人でした。
多分昼食を済ませて戻ってきたのかも知れません。60代後半の彼は、雑誌などで目にしたプロフィール写真よりもご年配で、一見して作家御本人と気づくまで少し時間がかかりました。千載一遇のチャンスでしたが、完全に気後れしてしまいました。僕は、ご挨拶もそこそこに会場を後にしてしまったのです。
あまりに理解が追いつかない作品を見た戸惑いと、無人の会場での突然の作家登場。若さゆえの経験のなさ、自信のなさ、色々な要素が入り混じる結果、会話が出来ず、チャンスを逸したのです。
直後は、事の重大さに気付かず、話せなくてもまあいっかと思ってました。写真の経験が進むにつれ、掴み損ねた機会がいかに貴重だったかが、時間が経つにつれて理解しました。もし、今すぐにでもその場に戻る事が出来たら、お聞きしたい事が山ほど溢れてきて、思い浮かべるだけで悔やまれます。
「インターフェイス」の作品に見られた、人間社会から物理的に離れた海岸で、社会の営みを眺めようとされた理由や、「キャラクターP」を生み出された思考過程や、敢えて展覧会場を暗く演出した意図など。
痛恨のミスを経験しながら、その後同様な経験を繰り返してしまいます。
悔やまれる展覧会での出来事(その2・畠山直哉)
2002年11月に大阪の国立国際美術館で行われた、『畠山直哉写真展』のギャラリートークに参加しました。
畠山直哉のそれまでの代表的作品を俯瞰出来る回顧展で、作品について作家本人が説明しながらディスカッション出来るイベントでした。
当時の僕は、メーカーの保守作業の現場責任者。だけど写真家の作品を見るのは好きで、特に畠山直哉の完全にファンでした。憧れの気持ちが募り、愛知県から参加したワケです。
きらびやかな作品が並び、その作品に対して作家本人が説明しています。その瞬間、僕は陶酔していたかも知れないし、自分の置かれた現実とのギャップに息苦しさも感じていました。自分もあちら側で話せる人間になりたい、と強く思いながら。
ギャラリートークというのは、作家と参加した鑑賞者が、一緒に展覧会経路を回りながら、作品の前で作者が作品について語り、それに対して鑑賞者が質問をして、会話をしながら進めていくイベントでした。
僕はギャラリートークは初参加。鑑賞者が百人程はいたと思います。進行係の方が、時折質問タイムを設けて、来場者に質問を促したのですが、ほとんど質問をされる人がいなくて、作家本人が苦笑する一幕があるほどでした。その瞬間も、僕は気後れして、質問が出来ませんでした。
彼の作品を鑑賞している自分に、単純に自信が持てなく感じていたし、自分の生活の実感を総動員して、作品に向き合えているか疑問で、何かうわべだけで自分は作品を眺めているんだ、と妙に気持ちが引いてしまいました。心が傍観者になっていたのです。
結果、質問しない観衆の一人にとどまる事を選んだのです。
尊敬する写真家達の姿から学んだこと
どちらの体験も、当時の自分が置かれた状況なりに、積極的に質問をぶつけられたはずですが、出来なかった。単に僕のコミュニケーション能力が低かったとも言えます。妻が言うには、これ以降の転職先(工事現場)で僕のコミュ力が格段にアップしたそうなので、当時は引っ込み思案だったのかもしれません。
でも、この経験を踏まえて、初めての個展から何度となく実現した写真展では、仕事でどうしても会場入りできない場合を除いて、全力で作品の前に立ち、見に来てくださる人にこちらから声をかけて、作品について語る事を過剰に繰り返しています。(もちろん、会話を必要とされない方のオーラには敏感に察知していますので、ご安心を)。
これこそが、失敗から学んだ回答です。これを実践すると、色々な世界が広がりました。
- 鑑賞者に作品をより深く理解してもらえる。
- 自分で気付かない解釈を知ることが出来る。
- 多くの方々と知り合える。
積極的に作家側から話す事は、苦い経験をした自分のような若者がいたら、少しでもすくい取りたいと思う気持ちがあるからです。出来るだけ若い相手に気を配って話を聞き出せると良いなぁと思っています。
それと同時に、相手の年齢に限らず、写真の楽しみ方に戸惑われている方にも、写真がこんなに面白いんだよ、と伝えようと心掛けています。
逆に、鑑賞者の皆さんのコツは、会場に作家本人がいたら、積極的に話かけて、自分の疑問をぶつけたら良いと思います。専門家である必要はありません。むしろ、自分自身の立ち位置からの意見を、ぶつけるのです。作家はそれを望んでいると思います。残り3日。お昼時間は中坐しますが、終日作品の前でお待ちしております。
今日も一日安全作業で頑張ろう!ご安全に。