写真家に出会えた時の気持ちを素直に記事にしてみた。

予知夢やデジャヴはあると思う「ひでっとる」です。よろしくお願いします。

僕の生活範囲を見渡して、撮った写真で、何かを表現しようとしている人物は大勢いるのですが、表現出来ている人物にはなかなかお会いできません。

表現出来ている人物を、僕は心の中で、【 写真家 】と呼んでいるのです。

【 写真家 】と呼べる人種にはそうそう出会えなくて、遠くにいて、作品を通してだけ触れ合える存在だと思っていました。

でも、いました。それもかなりの至近距離に。

その方は、夫馬勲先生です。なぜ先生かと申しますと、実は僕がまだ若かりし29年前、1年間通った名古屋の写真専門学校で講師をされていた方なので、今回は、先生と表記させてください。

事情を説明すると、当時から僕は金欠で、学費が捻出できず、2年間で卒業する専門学校を1年で中退してしまいます。夫馬先生は2年生を担当されていたので、専門学校では教えを受ける事なく、ご縁が得られませんでした。

中退して写真スタジオでアルバイトをしている頃、バイト先の先輩カメラマンが、専門学校の卒業生で、刺激になるからと言うことで、夫馬先生のご自宅の会合に一緒に連れて行ってもらったことがありました。教え子さん達が大勢集まった中、末席で先生の話を聞いたことが、1度だけありました。

その数年後、妻との生活を始める際に、僕たちは彼女の実家の近くに住み始めました。彼女の実家と夫馬先生の自宅がかなり近かったため、偶然にも先生の自宅近くに住むことになったのです。

もうひとつ、専門学校の同期の友人が、夫馬先生と親交が続いていて、時折先生の所へ立ち寄っていたタイミングで、僕が送迎を務めたりしていたので、先生とお会いする機会が1、2度あったと記憶しております。

要するに、先生は僕のことをほとんど知らない状態で、至近距離で生活をしていたのでした。

こちらは存じ上げてますので、サイコパス的な感じでしたが、写真とは無縁の生活を送っていたので、接点を持つまでには至りませんでした。

さて、昔話はここまでで、今年の初夏の頃に話は飛びます。

僕自身に今年の7月から一宮市博物館で決まっていた写真の展示が予定されていて、その準備で、新作の3枚の大きなプリントを製作依頼をするため、名古屋にありますセントラル画材さんにうかがった時に、カウンターに並べられた一枚のDMに目が止まりました。

東海在住日本写真家協会会員による第17回東海メンバーズ企画展「夢ーDream-」

参加者の顔写真が載っているDMでしたので、見覚えのある方が数名写っていた中に、少々お若い夫馬先生が写っていらっしゃいました。

夫馬先生の作品を単写真では何度か拝見することはありましたが、とにかく美しいモノクロプリントを作られる方だなぁ、と思っておりました。

このDMを手にした時、何故か無性に観に行きたくなったのです。自分の展示の準備も佳境に入った時期ではあったのですが、自分の立ち位置の基準を見つけたい、と思ったのかもしれません。嵐の中、行きました。

夢をテーマにした展覧会だけに、会場には明るい未来や希望、一見美しい被写体が並ぶなか、夫馬先生は、地面から這い出てきたような写真を並べていたのです。夫馬先生の解釈した夢を鑑賞者である僕らは、どう読み取るべきか?

経年変化を帯びたような汚れたマネキンの姿に「夢」を重ねることが出来る人は少ないと思います。

少なくとも夢にあふれた会場に、ドカンと腰を据えた写真は、作者の意図どおり、異次元の存在感を見せていました。作者はきっと、何も考えずに撮っただけだと言うのです。仕掛けていない様子を仕掛けている感じが、作品に奥行きをもたらしています。事実、ドス黒い世界観でありながら、どこか飄々と、あっけらかんとした佇まいから察するに、絶望的に悲観的な現代社会の中にも、五感をフル活用したら、何かしらの夢や希望が見えませんか?と問いかけているようでもありました。

勝手に鑑賞者が解釈することを受け入れる大きな器が、先生の作品であります。

単に見ることで読み取るメッセージではない、感じたり、考えたり、するための容器。

会場を後にする時に、芳名帳に名前を書いて引き上げました。展覧会も終わりしばらく経った頃、芳名帳をご覧になった夫馬先生から連絡をいただき、9月に行われる展覧会へのお誘いをいただいたのです。

先輩や同僚を通してご存じだったのだと思いますが、僕が一宮に関する写真を撮っていることを知っておられたようでもあります。もちろん、快諾させていただきました。

教訓 : 芳名帳は必ず書きましょう!

「今この時を撮る。」一宮写真協会選抜写真展

僕を誘っていただいた展覧会の概要を説明すると、夫馬先生のご指導を受けたメンバーさん達のグループ展で、先生ご自身の作品展示もあります。

メンバーさん達の作品の質が高く、ジャンルも多岐に渡っていて、見応え十分です。

会場の最も奥の壁に掛かけられた写真が夫馬先生の作品です。

24枚組の作品で構成され、タイトルは「賽銭」。

あえて一円玉や五円玉を選んで庶民の祈りの形を独特な雰囲気で表しています。この地域にある神社仏閣を広範囲に網羅し、さりげなく場所が特定出来る要素を散りばめて構成されています。

賽銭を表現するため、あえてクローズアップの写真を多用しています。

先の展覧会での作品の、夢の表現にマネキンを選んだ意図に通じる、厭世的な印象は一貫しています。コロナ禍での先の見えない現世に、神仏への祈りのカタチに向き合ったその先に、僕らは何を思うのでしょうか。

賽銭の作品を前に、時間をかけて、向き合ってみると、作者が施している仕掛けに少しずつ気づきます。縦横の配置に気を配り、関連したイメージで流れを作ってみたり、あえて異質なイメージから、何かを読み解かせてみたり。

祈りのカタチという重いテーマを表層的に示した作品だけれど、その基底には、作者のあっけらかんとした謎解きの仕掛けが隠されているようです。

作品については、あえて黙して語らない先生の代弁を勝手に買ってでたこの記事が、作者の真意を読み解くことが出来ているかどうかは分かりません。ですが、少なくとも、多くの仕掛けを意識的に施された作品は、読み解けた鑑賞者にしか分からない発見的装置です。

つまり、世間のダークサイドを写真化しつつも、かすかに遊び心を感じさせる重層的な作風なのです。

この展覧会場で初めてまとまった時間、夫馬先生と直接話をすることが出来ました。ご本人の印象は、作品の印象と同じ様な二面性を感じます。会話が楽しく、相手を煙に巻く話しぶりだけれど、ブレのない強い意志が言葉の端々に感じられて、作品のバランス感覚に近いものを感じるのです。

今年の8月に一宮市内の神社で龍の吐水口の窃盗が相次ぎ話題になったのですが、この作品のために賽銭箱や手水舎の撮影を敢行した時期とは少しずれているとはいえ、機を見る嗅覚の鋭さは、ドキュメンタリストの面目躍如であります。ご自身の説明では、「撮影する時、賽銭泥棒と間違えられんかしゃんってヒヤヒヤしとったわあ」だそうです。

会期は来週月曜日19日までです。本格的な写真作品が、なんと無料で見られます。是非ご高覧下さい。僕の作品も、光栄にもすぐそばに展示させていただいております。

注釈、本来ならば、写真家に対して客観性を持たせる為には敬称を付けず語るべきなので、当初試みたのですが、僕自身慣れていない事もあり、非常に違和感を覚えたため、今回は敬称を付して語らせて頂きました。今後の課題と致します。

なお、夫馬先生のプロフィールを示します。地元一宮の写真家で御歳84。作品を見ると一目でわかるバリバリの現役です。

夫馬勲

昭和13年 一宮市生まれ

昭和42~57年 毎日新聞、毎日グラフ、サンデー毎日、他月刊誌、週刊誌にルポを発表

昭和44~56年 個展開催15回

写真集「聖地ベナレスの民」より 著者 夫馬勲 発行所 毎日新聞中部本社 昭和57年11月発行

バリバリの報道写真家であります。

今日も一日安全作業で頑張ろう!ご安全に。

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