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写真家としての活動記録を、新しい順に並べてます。
2022年11月13日(日)木曽川町商工会にて、商工まつりにて、作品を展示させていただきます。
2022年9月10日(土)から9月19日(月)一宮市博物館にて、一宮写真協会選抜写真展『今この時を撮る。』に参加しました。
主催者の夫馬勲氏のお声かけいただき、ポートレイト作品を展示させていただきました。
- 2022年7月16日(土)から8月14日(日)一宮市博物館にて、企画展『国登録文化財葛利毛織工業工場とのこぎり屋根』が開催されました。
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国際芸術祭「あいち2022」連携企画事業です。僕の作品が展示の一部分として使われます。常設展料金が必要です。
- 2022年2月、”撮影した写真を展示してみる”で作品の展示をしました。
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一宮市リテイル1階のオルタナティブスペース『書庫と○○』にて行われた、まちを写真で楽しむワークショップ『書庫と写真』の参加者による作品展示でした。ブログ内の作品紹介の【一丁目一番地】を展示。
- 2021年12月、『書庫と○○』企画、ワークショップ『書庫と写真』どうやって撮影しているの?講座の講演をしました。
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一宮市リテイル1階のオルタナティブスペース『書庫と○○』にて行われた、まちを写真で楽しむワークショップ『書庫と写真』で、建築を題材とする写真の楽しみ方を講師として話をしました。ブログ内の作品紹介の【本町商店街アーケード】【ツインアーチ138】【ルボテンサンビル】【部屋番号は405号室】【貸倉庫のシャッター】を展示し説明しました。
- 2020年9月、岡崎市某中学校現職教育写真講座の講演をしました。
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生業でお世話になっている中学校の先生方に写真の楽しみ方や撮影の方法についてレクチャーしました。
- 2018年7月、雑誌『新潮45』の企画「写真家は写真でかく語る」で特集記事を掲載頂く。
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写真評論家トモ・コスガ氏の企画記事で、毎号1名の写真家を紹介するコーナーの8番目の写真家としてご紹介いただきました。(この雑誌は、僕の掲載された号に、別の企画記事で社会的問題が発生したことにより、廃刊に近い休刊となっています。)
- 2018年3月放送、NHKのBSプレミアム『にっぽんカメラアイ・鼓動よ響け』の番組にて作品を放映頂く。
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ブログ内の作品紹介の【ノコギリノコドウ】シリーズの作品の一部を番組内で放映いただきました。番組の制作段階で情報提供などのサポートをさせていただきました。
- 2018年2月から3月にかけて、写真作品の展示がありました。
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一宮地場産業ファッションデザインセンターにて、ブログ内の作品紹介の【ノコギリノコドウ】シリーズの一部作品を展示させていただきました。
- 2018年1月から2月にかけて、写真作品の展示がありました。
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一宮市の旧田内織布で行われた現代芸術の作家3名の企画展『尾州の起点』に参加、ブログ内の作品紹介の【ノコギリノコドウ】シリーズの一部作品を出展させていただきました。
- 2017年11月号、『月刊なごや』にて記事と写真作品の掲載をいただきました。
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ブログ内の作品紹介の【ノコギリノコドウ】にまつわる産業の状況を記事と写真作品を用いて伝えました。
- 2017年9月、個展【ノコギリノコドウ】を開催しました。
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名古屋市中区セントラルパーク内のセントラルギャラリーにおいて、個展を開催いたしました。
- 2017年8月、個展【ノコギリノコドウ】を開催しました。
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一宮市スポーツ文化センターにおいて、個展を開催いたしました。
- 2017年8月号、写真月刊誌『日本カメラ』にて【ノコギリノコドウ】の一部作品が掲載されました。
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8月に予定していた個展の案内を掲載頂くつもりで口絵の掲載をお願いしました。
- 2013年9月から、写真関連の仕事に従事することができた。
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現在も継続して勤務中。幼稚園、小中学校、高校の学校写真を撮影し、生業としています。
この時期は、髪の毛も行動もかなりヤバイ。ろくでもない野郎に成り下がりながらも、当時は苦悩していました。親子関係のもつれで、紆余曲折が止まらない時期です。
- 2006年頃から、スポーツ体感ゲーム機メーカー(電気関係のメーカー)に勤務
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新築建築現場での施工管理を任され、多くの経験をさせていただきました。これまで人前で積極的に話すことをせず過ごしてこれたのですが、他業種の職人さんたちと一緒に作り上げる現場では、最も求められるスキルがコミュニケーション能力だったので、鍛えられました。妻にはこの時期の変化が大きいと良く言われます。
- 2003年頃から、転職失敗し、以降ニート化(主夫)する。
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転職先を決め、試用期間中にそこがブラック企業であることが分かり、掟破りだったけど就職を断念。再就職先を探すうちに前職のダメージが現れて、勤労意欲が低下し、ニート化しました。
- 1998年頃から、産業機械メーカーに勤務。サービスエンジニアとして従事。
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待遇に全く不満の無い、良い会社で働けたのですが、勤務体系が合わなかった。昼夜を問わない24時間体制のコールに対応する仕事でメンタルと体力が限界を迎えました。完全に写真から遠ざかった時期でした。
- 1994年4月、名古屋市にあった写真専門学校に入学
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貯蓄が出来たので、退職し、専門学校に入りなおしました。一年後には、貯蓄を使い果たし自主退学。講師だった写真スタジオ社長の経営するスタジオでアルバイト勤務を続けることになります。数年後、正社員での就職をしなければならなくなり、写真の仕事を断念することになります。
- 1991年4月、某精密機器メーカー系販売会社に就職
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目的は一点、貯蓄をすること。仕事に対する態度は褒められたものではなかったかもしれません。もちろん自分の選択は間違っていないと思っていたけど、本腰が入っていない感じはあったと思います。
無邪気にも夢を抱き、志を立てました。苦労する決断だってことは当時でも理解していましたが、そうせざるを得ない心境に至りました。その気持ちを今でも自分の誇りとしています。
- 1987年4月、大学に入学
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大学では物理工学を専攻していました。ある日テレビで見た音楽ライブの映像に触発されてしまい、やっぱり何かを表現する人間になる!と決めて、方向転換を画策することになりました。出来るだけ周囲の人に負担にならない形で、と半端な態度がここから始まり、長い間自分自身を苦しめます。
- 1983年、高校生の部活動で写真部に所属
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人間工学を学び、工業デザインを習得したいと将来のビジョンを家族に伝えるも却下されました。小学生の頃から常につきまとう、親子間での意思疎通が困難な状況は、以降の進路をいびつな状態に追い込みました。
- 1967年、名古屋市生まれ
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幼稚園で開かれていた絵画教室が大好きで、何かを作ることを楽しみます。母は写真館で働いた経験があり、初代オリンパスペンで僕ら子供達を撮影していました。写真館でのエピソードや撮影している母の仕草に興味があったかもしれません。区立図書館で写真家宮崎学の『僕は動物カメラマン』を何度も読んだ記憶があります。お小遣いを貯め、一眼レフカメラを購入するなど、小学生時点ではもうすでに写真への興味がありました。

2003年頃に作ったオリジナル画像。まだスキンヘッドではない頃だったから、見事に予言的中。上の顔は妻の似顔絵。”仕様がないからこれだけOK”をもらえた顔出し画像です。